300年前の吊り橋、革命史跡である瀘定橋―中国十大古橋

中国の十大古橋、第4回目は四川省カンゼ・チベット族自治州瀘定県にある、瀘定橋(鉄索橋)です。瀘定橋は大渡河を渡るために設置された吊り橋で、1706年に作られました。

300年前に作られた、革命史跡

大渡河は流れが急で水量も多かったため、渡るのがとても困難でした。不便を解消するために、清代の第4代皇帝・康熙帝の時代に建設が進められました。瀘定橋は1935年に中国人民解放軍の前身に当たる紅軍と国民党軍が戦闘した場所としても知られています。長征途上の紅軍が強行突破に成功したこともあり、現在では革命史跡として保存されています。瀘定橋の長さは約103メートルで幅は約3メートル。橋は木材と鉄材で作られており、総重量は40トンに達します。

瀘定橋1

近くにチンギスハンの末裔が住んでいる!?

「瀘定橋」という名称は康熙帝が付けたといわれています。大渡河はかつて「沫水」と呼ばれていましたが、康熙帝は「瀘水」と勘違いし、当時の戦を「平定」するという思いが込められ、「瀘定橋」と名付けられたそうです。瀘定県の名称は瀘定橋に由来するそうです。大渡河一帯では昔からチンギスハンの末裔がいるとの噂が聞かれています。瀘定県冷磧鎮沈村に住む「余」姓の村民たちは、自分たちは実はモンゴル族でモンゴル帝国の初代皇帝チンギスハンの末裔であると公表しています。当時、明軍の迫害を恐れた末裔たちがこの地に流れ、漢族を装うために「余」姓を名乗るようになったと語っています。2009年にはチンギスハンの末裔とされる女性が、謎とされてきたチンギスハン墓の所在について「四川省カンゼ・チベット族自治州にある」と語り一時注目を集めました。

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瀘定橋2

歴史的な戦いを見守ってきた瀘定橋。史跡としての価値は言わずもがな、商人や周辺の住民にとっては生活的な利便性を高めてくれた大きな存在です。荒れ狂う大渡河から人々を守り続けてきた瀘定橋。これからも人々の暮らしを見守って行くことでしょう。

           

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